人格と発言【思考停止の怖さ】

改めて、私が集団行動が苦手な理由が自分で理解できたので書いてみます。

【きっかけ】

Twitterでフォローさせていただいている、やまもとりゅうけんさんのブログ
ブログサロンに入ると記事が面白くなくなる三流ブロガーについて
と、それに反応された宮森はやとさんのツイートから。

ちょっと話しはずれますが・・・本質は同じな気がして書いたので。




【人の発言と人格を区別できない人が怖い】

一言で言うとこれです。

誤解されそうなのでちゃんと説明すると、
「その人の人格を考慮すると、こういうことが言いたいんだろうな」という「相手の発言の意図をつかむのに人格を把握する」ことは
大切な能力で、大切なことだと思います。
「発言そのものをただその言葉通りに捉らえるべき」ということじゃないです。

また、
「あの人の考えは自分と違うけど、いつもお世話になってるし、長年の付き合いがあるから今回は任せる」みたいな状況というのは意味がわかります。
それって、「その発言が許せない・間違っている」という前提がちゃんとあるから。
その前提のあと、どういう判断をするか、というところには日ごろの関係性や人格が大いに関わってくるものだと思います。
それを否定する気は全くありません。

そうじゃなくて、
例えば同じことを言っていても、

あの人は友達だから、「いいこというよね」っていう反応で、
あの人は嫌いだから「何馬鹿なこと言ってんだろあいつ」っていう反応が
理解できないんです。
理解できないけど、日常でこういうことが溢れてる。

そして仲良しグループとか集団では
そういうことがものすごく起きやすい。

そして更に怖いのが、それを意識もしていない、ということ。

【思考停止と責任逃れ】

結局、思考停止してるんですよね。
その人だからいい、って判断することを放棄しちゃったら、
なにか失敗したとき、その人のせいになっちゃうんです。
自分が判断したという意識すらないから。

反対に「この人嫌いだから間違ってる」っていうのは、これほど残酷なことはない。
説得力がない、ということならわかる。
でも実際感情的な人間の思考を左右するのは、大半「好きか嫌いか」。

物事の本質を見失っている。
理論的ではなく感情的。

これって本当に怖い現象です。

【この人のこと好きだけど、この発言は間違ってるって思うのは、普通のことじゃないの?】

長年言いたかったことはこれです。
実際、リアルで生活してきた中では、理解されたことは一度もなかったです。
「空気よめないんだね」って言われたことはあります。
というか、理解できるよーって言ってくれる人は、上記の「私と友達だから肯定している」ということでした。

でもこの理論が学校どころか会社でも通用しないということがわかって、愕然としました。
「この人のこういうところ理解できない」というのは「その人が嫌い」と同意じゃないんです。
また、あなたの好きなものを私が苦手でも、好きな感情やあなた自身まで否定してるわけじゃないんです。

そして、私は人間が嫌いなわけでもないんです。
一対一でちゃんと話しあえる人が好きです。

一時、本当に、自分の意見を発信するのが怖くなることがありました。
だから今までブログを書くことを選択していませんでした。
フリーランスで生きるって決めて、開き直りましたが。

だから集団苦手なんだなあ、と改めて思った出来事でした。